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ヤマハバイクの魅力と歴史を探る

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ヤマハバイクの魅力と歴史を探る

ヤマハバイクの魅力と歴史を探る

2024/09/07

ヤマハバイクは、その優れた技術とデザインにより、世界中のバイク愛好者から愛されてきました。この導入文では、ヤマハの歴史を振り返りながら、その魅力を探求していきます。創業以来、ヤマハは革新を追求し、数々の名車を生み出してきました。多彩なモデルラインナップや、レースシーンでの活躍、さらには環境への配慮が、ヤマハのバイクを特別なものにしています。今回の記事では、ヤマハバイクの魅力を深堀りし、彼らがどのようにして二輪業界におけるリーダーとなったのかを明らかにしていきます。

目次

    楽器製造からオートバイへ

    楽器メーカー日本楽器製造は、戦時中、軍需品の軍用機のプロペラを製造していました。浜松の工場は戦災に遭い、また残った工場や工作機械は進駐軍に接収を受けていました。昭和28年(1953)に接収が解除され、社長の川上源一は工作機械の有効活用として、オートバイの生産を考え、密かに八幡町にあった日本楽器製造で研究開発を開始しました。

    昭和29年(1954)に試作車が完成し、社長の川上自ら、浜名湖を周回しテストを実施しました。そのころ浜松ではオートバイメーカーの濫立期を終え、メーカーが淘汰される時期に入っていました。川上は工作機械を浜北町中条の浜名工場へ移し、オートバイ生産を開始しました。後発の日本楽器製造でしたが、開発したオートバイ「YAMAHA125(YA-1)」は第3回富士登山レースに初出場で優勝し、赤とんぼの愛称で爆発的な売れ行きとなり、わずか1年でトップブランドとなりました。
    昭和30年(1955)7月1日、オートバイ生産部門を、日本楽器製造から分離独立させて本社を浜名工場とし、ヤマハ発動機を設立。昭和47年(1972)には本社機能と生産拠点を磐田市へ移転しました。
    現在、浜名区中条の旧ヤマハ発動機本社跡はヤマハ発動機浜北工場となっています。磐田市新貝2500のヤマハ発動機本社には展示施設『ヤマハコミュニケーションプラザ』があります。

    ロゴの歴史

    ヤマハ発動機は日本楽器製造(現在のヤマハ)の二輪部門が独立して誕生した企業であり、ロゴタイプに共通点が存在する。ヤマハ株式会社とヤマハ発動機株式会社のロゴタイプの差異について解説する。分かりやすいのは"M"の字で、真ん中の谷の部分がベースラインまで完全に下がっているのがヤマハ発動機、下げ切らず浮いているのがヤマハ(楽器)である。微妙な違いとしては、各文字のアルファベットの形が完全に左右対称なのがヤマハ発動機、ごく微妙に左右非対称なのがヤマハである。音叉マークは、持ち手が円に被り、マーク全体に立体感が付けられたのがヤマハ発動機、音叉の持ち手が周りの円より内側に入っているのがヤマハである。これにより、どちらが参入している分野か知らなくても、どちらの製品かを見分けることが可能である。

    モータースポーツ

    1955年(昭和30年)に日本国内レースである富士登山レースや浅間火山レースに出場し、ホンダなどの先行有力メーカーを抑えて優勝を収めた。

    ロードレース世界選手権には1961年から参戦を開始し、1964年に250ccクラスでチャンピオンを獲得。以降スズキと並ぶ2ストロークエンジンの雄として、中小排気量クラスを席巻した。1969~1972年にワークス参戦を一時休止した後、1973年から最高峰クラスへ参戦。1975年にジャコモ・アゴスチーニがライダースタイトル、翌1976年にはコンストラクターズタイトルを、いずれも日本メーカーとして初めて獲得する快挙を達成した。またさらに翌年の1977年には、日本人ライダー初のチャンピオン(350ccクラス、片山敬済)も輩出している。以降はホンダ、スズキ、ドゥカティと激しくタイトル争いを展開し、現在までワークス参戦を続けている。最高クラス(500cc→MotoGPクラス)ではこれまでにケニー・ロバーツ、エディ・ローソン、ウェイン・レイニー、ヴァレンティーノ・ロッシ、ホルヘ・ロレンソ、ファビオ・クアルタラロがヤマハでチャンピオンとなっている。また日本人では原田哲也が250ccチャンピオンとなった。

    ヤマハの歴史を作ってきた名車たち

    【1955年式】YA-1

    ヤマハ初となる2輪車「YA-1」は当初「楽器屋の作ったバイク」と揶揄されることもあったが、当時、注目を集めていたレースに参戦したことで評価が一変。デビューした年に富士登山レースで優勝し、同年に行われた浅間火山レースでは1~4位までを独占するという成績を収めたのだ。123ccの空冷2ストローク単気筒エンジンを搭載したYA-1は最高出力5.6馬力。スリムな車体と相まって軽快な走行性能を発揮し、ホンダをはじめとする数々の先行メーカーのマシンを抑えて勝利していく姿は、多くの人を魅了した。

    外観の美しさも人気を集めたポイント。「赤とんぼ」の相性で親しまれた

    【1960年式】SC-1

    レースでの活躍で名を馳せたヤマハが初めて手がけたスクーター「SC-1」は、175ccの空冷2ストローク単気筒エンジンと、4輪のオートマチック車などに採用される2段変速のギアとトルクコンバーターを組み合わせる仕組みを採用。エンジンからの駆動力伝達に、チェーンではなくシャフトドライブを採用していたのは当時としては先進的であった。それでいて、見た目はかわいく繊細。現在でも同社の柱のひとつとなっているデザイン性の高いスクーターの原点といえる。

    【1970年式】XS-1

    2ストロークエンジンを搭載したバイクを生産してきたヤマハが、初めて排気量の大きな4ストロークエンジンを搭載してリリースしたのが「XS-1」だ。653ccの排気量を持つ2気筒エンジンは、当時の英国車などが採用していたシリンダーが直立した「バーチカルツイン」とされ、初めての4ストロークエンジンとは思えないほどのスムーズさを実現した(ただ、バランサー構造を持たなかったため、振動はすごかったらしい)。デザインの美しさも魅力的で、キャンディグリーンのカラーリングは今でもファンが多く、のちに「SR400」というモデルで再現されたほどだ。

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