三菱自動車の歴史を振り返る旅
2024/11/03
三菱自動車は、日本の自動車産業において重要な役割を果たしてきた企業の一つです。1900年に創業されたこの会社は、時代の変遷とともに数々の革新を遂げ、今日に至るまで多くの人々に愛され続けています。この歴史を振り返る旅では、三菱自動車の誕生から、戦後の復興、技術革新、そしてグローバル展開に至るまでの歩みを探ります。自動車の進化とともに変わりゆく社会の情勢を背景に、三菱自動車がどのようにその場面ごとに適応し、成長してきたのかを見ていきましょう。さあ、歴史の旅に出かけましょう。
目次
三菱自動車の創業と初期の挑戦
三菱自動車は、1870年に創業された三菱グループの一員として、初めは海運業からスタートしました。その後、1900年に初めての自動車三菱A型を製造し、自動車業界への参入を果たしました。当初は技術力が求められる中で、多くの困難に直面しましたが、三菱のブランドはその信頼性と革新性によって次第に認知されていきました。 第1次世界大戦中、需要の急増により三菱自動車は生産を拡大しましたが、戦後は競争の激化や経済状況の変化により、経営に苦しむ時期も経験しました。また、戦後の復興期においては、国産車の需要が高まり、多くのメーカーが次々と参入したため、さらなる技術革新とマーケティング戦略が求められました。 1920年代には、本格的に量産体制を整え、売り上げを伸ばしていきます。特に、1946年に発売された三菱デリカは、多用途な商用車として、様々な分野で広く使用されるようになりました。このように創業当初からさまざまな挑戦を乗り越えながら、三菱自動車は日本自動車産業の中で重要な地位を築いていったのです。
三菱自動車の原点と歴史
三菱の歴史は1870年にさかのぼります。「三菱自動車」を設立したのは創立から100年が経った1970年ですが、自動車の開発や製造は戦後まもなくから始まっており、歴史のある自動車メーカーです。
三菱自動車工業株式会社が誕生したのは、創立100年後の1970年です。
三菱重工業株式会社は、1969年に自動車事業本部を設置し、4G3型(サターン)エンジンの生産を開始しました。また、戦前に航空機の生産を行っていた名古屋製作所に自動車技術センターを設置し、基礎研究から商品開発に取り組んでいます。
その後1970年に、クライスラー社と合弁事業に関する契約を終結したことで自動車事業部門を分離し、新会社へ譲渡する形で「三菱自動車工業株式会社」が誕生しました。
モータースポーツに積極的に参加
三菱自動車は、1973年から開催している世界ラリー選手権に初年度から参加しています。開催翌年の1974年には「ギャラン」でサファリラリー初優勝、その後も1992年まで計5回の優勝を果たしました。
1993年からは「ランサー エボリューション」で参加し、1999年までの間で、累計34回の優勝を獲得しています。三菱自動車は、モータースポーツに積極的に参加することで技術を向上させてきたメーカーです。
日産の傘下として再スタート
三菱自動車は、オランダやアメリカ、フィリピンなどに生産会社を設立し、ボルボやダイムラー・クライスラーと資本提携を行うなど、グローバルに事業を展開していました。
しかし、2002年に起こったトラックの前輪脱落やクラッチハウジング破損による死亡事故などの度重なるリコール隠し問題で経営が悪化し、2016年には日産自動車が筆頭株主となります。日産はフランスのルノーと資本契約を結んでいるため、三菱自動車も必然的にルノー・日産アライアンスの傘下となり、再スタートを切りました。
国土強靭化(防災・減災)に、 電動車両が果たす役割
日本は、度重なる大災害により様々な被害がもたらされ、そのたびに長期間にわたる復旧・復興もまた、繰り返されてきました。
それを避けるために今、災害発生時に致命的な被害を負わない強さと、速やかに回復するしなやかさをもつ社会システムの構築を目指す「国土強靭化」の取り組みがすすめられています。
災害発生時には、ガソリンの入手が困難となります。そのとき、ライフラインの中でも復旧の早い電気を動力源とする電動車両は、移動手段として重要な役割を担います。
また、電動車両に蓄えられた電力を家に供給するV2H※機器や、電化製品に直接電力を供給する外部給電機能により、電動車両は移動可能な非常用電源としての役割を担います。
電動車両は、災害発生時の移動手段として、そして、エネルギー供給源として、日本を災害に強い国にしていきます。
※:Vehicle to Home の略。電動車両に蓄えた電気を家に供給する仕組み。