いすゞ自動車の歴史と未来の展望
2024/11/21
いすゞ自動車は、日本の自動車産業において長い歴史を持つ企業であり、その技術力と革新性は世界中で高く評価されています。1916年の創業以来、いすゞはトラックやバスを中心とした商用車の製造に特化し、特にディーゼルエンジンに関する研究開発で数々の画期的な成果を上げてきました。近年では、環境問題や自動運転技術の進展といった新たな課題に直面している中で、いすゞはどのようにその存在感を保ち、未来へ向けたビジョンを描いているのでしょうか。本稿では、いすゞ自動車の歴史を振り返りながら、現代の技術革新や市場のニーズに応じた未来の展望について考察します。
目次
造船からクルマづくりにチャレンジ
いすゞの前身は、1893(明治26)年に設立された(株)東京石川島造船所にさかのぼります。同社は、1916(大正5)年、自動車生産に関する調査研究を始め、試作を開始、当時好況だった造船業で得た収益で自動車生産に乗り出すことを計画。1918(大正7)年、英国のウーズレー自動車会社と製造権および販売権に関して提携を結び、クルマづくりをスタートさせました。1922(大正11)年ウーズレーA9型乗用車の国産化に初めて成功。1924(大正13)年にはウーズレーCP型1.5トン積みトラックを完成し、軍用保護自動車の資格を得るという成果をあげました。
他社の追随を許さない出力と燃料消費率
1927(昭和2)年東京石川島造船所はウーズレー社との提携を解消し、独自に純国産車の生産に乗り出しました。
この時、隅田川畔の工場から生まれるクルマの発展を願って、車名をウーズレーから「スミダ」に改めました。車名変更にあたっては、一般から懸賞募集したことで大きな反響を呼び、多くの人々に国産車の認識を広める役割を果たしました。
そして1929(昭和4)年に開発したA6型・A4型エンジンを搭載したクルマは、他社の追随を許さない出力と燃料消費率を実現し、スミダ号の名声を一躍高めました。
日本を代表する中型トラックの原点
1929(昭和4)年東京石川島造船所から自動車部門が独立し、(株)石川島自動車製造所を設立しました。
当時の社会情勢は1923(大正12)年の関東大震災以降、破壊された鉄道や市電にかわってクルマが震災復興に大活躍し、日本の自動車保有台数は伸び始めていました。そこで国はクルマの国産化を振興し、商工省標準形式自動車の開発を奨励しました。
石川島自動車製造所はこうしたニーズにいち早く応え、1933(昭和8)年商工省標準形式自動車をつくりました。このクルマは、伊勢神宮の五十鈴川にちなんで「いすゞ」と命名(現在の社名はこれに由来します)。材料から電装品、計器類に至るまで国産品を使用し、日本のクルマづくりの礎を築きました。また、その後の改良により、戦後、いすゞの5~6トントラックへと発展し、日本を代表する中型トラックの原点となりました。
いすゞディーゼルのルーツ
1933(昭和8)年石川島自動車製造所はダット自動車製造(株)と合併して、自動車工業(株)を設立しました。
自動車工業は、国内マーケットを席巻していたアメリカ車に対抗できる生産規模の拡大と、技術水準の向上にまい進しました。なかでも、まだ欧米先進国においても技術が完全に確立されていなかったディーゼルエンジンの開発に注力し、1936(昭和11)年空冷式ディーゼルエンジンDA6型・DA4型の開発に成功しました。これは、いすゞディーゼルエンジンの基礎となる画期的な出来事でした。
名声を不動にしたイノベーション
1937(昭和12)年4月9日、自動車工業(株)は東京瓦斯電気工業(株)を合併して、東京自動車工業(株)を設立しました(いすゞの創立)。
東京自動車工業は圧倒的な技術力で、各種ディーゼルエンジンの開発に成功。1941(昭和17)年ディーゼル自動車専用許可会社となり、商号をヂーゼル自動車工業(株)と改称。翌年には日野製造所を分離し、日野重工業(株)(現在の日野自動車(株))を設立するなど、ディーゼルエンジン技術の開発に中核的な役割を担いました。
この時期に軍需用として開発された一連の水冷DA型エンジンは、戦後民需用としてTX80型トラックなどに搭載され広く普及。「ディーゼルのいすゞ」の名声を不動のものとしました。
ベストセラーとなった小型トラック
1949(昭和24)年商号を現在のいすゞ自動車(株)に変更しました。
トラック需要は、日本経済が朝鮮戦争による特需ブームを迎えると、うなぎ登りに増加しました。いすゞは、こうしたマーケットニーズを的確にとらえるため、生産ラインの統合による合理化を行なった。その結果、ディーゼル車の販売台数は急上昇しました。
そして1959(昭和34)年、現在も小型トラックナンバーワンを誇る「エルフ」の販売が始まりました。エルフは斬新で使い勝手に優れたCOE型ボディを採用により、小さいながらもボンネットトラックに比べて多くの荷物を積載できるということから、瞬く間に小型トラックのベストセラーカーとなりました。