ホンダ自動車メーカーの歴史と技術の魅力を深掘り!
2024/06/30
ホンダ自動車は、長い歴史と高度な技術力で世界中に多くのファンを持つ自動車メーカーです。その魅力は、創業者・本田宗一郎が持つ“夢と情熱”と、“ジェノバ式プロセス”を取り入れた独自の技術力にあります。今回は、ホンダ自動車の歴史と技術の魅力を深掘りしていきたいと思います。
目次
本田技研工業とは?
本田技研工業株式会社は東京南青山に本社をおく自動車メーカー。
1946年、本田宗一郎氏が静岡県浜松市山下町でエンジンや工作機械の製作や研究を開始。
1947年自動車用補助エンジン、1949年初の二輪車を生産開始。
1958年初代「スーパーカブC100」を発売。
。好調な景気を背景に、モータリゼーションへの関心と期待が高まる日本。
四輪市場への進出に向けて体制づくりを進めていたホンダは、
1963年ついに初の軽四輪トラックT360を発表。四輪メーカーとしてのスタートをきった。
一方で二輪車は、より大きな市場での可能性を求め世界に向けた挑戦を始めていく。
ホンダ自動車の歴史
ホンダ自動車は1948年に本田宗一郎が設立した自動車メーカーです。
最初は自転車部品の製造から始まり、1958年には日本で初めての量産スポーツカーであるS360を発売しました。以降、数々の名車を生み出し、技術革新にも積極的に取り組みました。
1966年にはN360を発売し、これがホンダ自動車の普及車としての地位を確立するきっかけとなりました。
また、1972年には世界初の環境に優しい自動車シビックCVCCを開発し、環境保護に注力しています。
その後も、燃料電池車やハイブリッド車など、次世代の自動車技術開発にも取り組み、世界中で愛されるブランドとしての地位を確立しました。
現在は、世界各地で事業を展開しており、後進国支援など慈善活動にも力を注いでいます。
ホンダ流の技術革新
ホンダは自動車業界において常に技術革新を追求してきました。グリーン技術を中心に、省エネルギー化や環境保護に積極的に取り組んでいます。特に、電動二輪車やハイブリッド車の開発・販売に注力しており、独自の技術により高い評価を受けています。さらに、自動運転技術や人間工学にも取り組み、高い安全性と快適性を追求しています。また、コミュニケーション技術の分野でも、車載端末やネットワーク技術を活用し、お客様とのつながりをより深めています。ホンダの技術革新は、常に時代に合わせたニーズに応えることを念頭において行われています。
革新的なエンジン技術
1971年には、低公害技術であるCVCCを発表。
米国でマスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。
そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ、フォード、クライスラー、いすゞに技術供与した。
近年は、ハイブリッド車インサイトやシビックハイブリッドなどの二酸化炭素の排出量の少ない車両の本格普及に向けての低価格なハイブリッドカーの販売、地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発、各工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、有志による海岸の清掃活動など、多岐に渡っている。
また日本国外では、中華人民共和国内モンゴル自治区通遼市のホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている。
これらの環境問題に対して積極的に取り組んでいるだけでなく、来るべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティのリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っています。
ホンダ自動車の今後
ホンダのルーツを見ていくと、今でこそ車のイメージが強いですが、様々な事業を手掛けていることに気づかされます。
創業者の本田宗一郎は、名言の多い素晴らしい経営者だったことも忘れてはいけません。
現在ではホンダジェットの引き渡しも始まり、航空機への進出もなされています。
今後のホンダの発展に注目していきましょう。