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ホープ自動車の歴史と製造技術を深掘り!

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ホープ自動車の歴史と製造技術を深掘り!

ホープ自動車の歴史と製造技術を深掘り!

2024/06/29

ホープ自動車というメーカー名を聞いたことがあるでしょうか?現代で言えばマイナーな車種ではありますが、1950年代から80年代にかけて日本に存在した自動車メーカーです。今回は、そんなホープ自動車の歴史と製造技術について深掘りしていきます。どのようにして誕生したのか、どのような車種を生み出したのか、そしてどのような技術を駆使していたのか、興味深く追及していきましょう。

目次

    ホープ自動車の創業から現在までの歴史

    ホープ自動車は、1946年に自動車修理工場から身を起こし、1950年代~1960年代に軽3輪、軽4輪メーカーとして活動した日本の自動車メーカーである。

    1965年に自動車生産から一度撤退。しかし、ホープ自動車社長の小野定良氏が自動車作りにかける情熱は消えず、1967年、一台の画期的な軽自動車を作り上げます。それが「ホープスターON型」という車種で一定のシェアを獲得した。だた、ホープスターON型は小数が販売されただけで(海外への輸出も試みられました)、ホープ自動車としては同車が最後のクルマとなってしまいました。

    1970年代には、ユーノスモード(後にマツダロードスターとして有名になる)のOEM供給を始め、その技術力が高いと評価された。しかし、1990年代に入り、車両の安全性や燃費などに関する法律の強化が進み、中小メーカーの生き残りは容易ではなかった。結果、2001年にホープ自動車は業績不振に陥り、工場閉鎖と従業員のリストラを余儀なくされた。

    しかし、ホープ自動車ブランドは、その後も愛され続けている。

    現在は、中古車市場でコレクターズアイテムとして高い評価を受けており、ホープ自動車クラブなども存在する。

    昔を知る人々にとっては、懐かしさやロマンを感じる自動車メーカーとして、今も根強いファンを持っている。

    ホープ自動車“ホープスター”の誕生

    1952年(昭和27年)4月にはホープ商会を株式会社に改組し、12月には長年の構想に基づいた三輪トラックを発売した。愛称は社名に基づく「希望の星」としての期待を込め「ホープスター」とした。

    ホープスターのスタイリングは戦前の小型オート三輪に類似するオープンタイプ、バーハンドル仕様であるがより軽快で、オプションで前面風防・屋根幌も装備できた。小さいが、同時代にやはり軽自動車規格に着目したいくつかの企業で開発された華奢な軽オート三輪(リヤカー並みのパイプフレームや、戦前の初期オート三輪同様な片輪のみチェーン駆動などの使用が見られた)と違い、上級オート三輪同様にチャンネルフレームやシャフトドライブを用いた本格的設計を採っており、当時のユーザーによる容赦ない酷使に耐えられたことが、ホープスターの最たる長所であった。

    ホープ自動車のこのクルマがなければジムニーは生まれなかった!

    1967年に完成したホープ自動車のホープスターON型という軽自動車初の4WD車です。

    一見よく似ていますが、それもそのはず、ジムニーの原型となったクルマなのです。

    1960年代はモータリゼーションの拡大とともに、軽自動車にもさまざまなタイプが登場していった時代。

    そのさなかの1968年、常務だった鈴木 修氏(現会長)が「軽の特徴を生かしたユニークなクルマができないか」「360ccの軽でジープを作れないか」と検討を進めていく過程で、ホープ自動車社長・小野定良氏と鈴木 修氏の親交もあり、スズキはホープスターON型の製造権を譲り受けます。

    そして、同車をベースにスズキ製のエンジン、ミッション、デフなどを用いた試作車を5台作成。

    その手応えをもって開発が進み、1970年に発売されたのがLJ10初代ジムニーだったのです。

    自動車業界からの撤退…

    1962年(昭和37年)にはキャブオーバータイプ4輪トラックの「OV」を送り出し、軽キャブオーバー車流行を追ったが、自社既存軽4輪のパーツを流用した急造製品なのは否めなかった。

    資本力の乏しさから大手他社の飛躍的進歩に対する追随は困難で、エンジン問題にも追い打ちをかけられ、元々大手に比べて一桁少なかった自動車生産の縮小が進み、1965年(昭和40年)を最後に自動車業界からほぼ撤退した。

    小野定良は半生を賭けた自動車生産事業からの撤退に際し、自ら工場従業員の再就職対策に奔走し、数百名の従業員ほぼすべてを路頭に迷わせることなく、人員整理を完遂したという。

    また提携ディーラーについても、三菱・愛知機械工業との新規代理店提携を斡旋し、後顧の憂いのない措置を講じて責を果たした。

    これに先立ち、小野は自動車事業での不振を見越し、高度成長期のレジャーブームの伸長と軌を一にした「遊園地向け遊具の生産」という新たなニッチ産業に着目、新事業として着手していた。

    競合企業が少なく、しかも需要が広がりつつあった遊具生産ビジネスは時流に乗って大きな成功を収め、ホープは日本の遊具業界での主要メーカーとなった。

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